7年前のこの旅行が、初めての海外旅行だった。それはバックパックで25日間外国を移動するもので、すべて自分で決めたくせに、自分でさえ不安で、出発が近くなると夜は眠れなかった。
でも朝が来ると、どんな所でどんな人に会えるのだろうかと好奇心でワクワクする。そんなことを繰り返していて、出発する日の朝は疲れ切っていた。
最初の海外旅行をチャレンジングなものにしたのは、きっと焦っていたからだろう。
何かしなければいけないと。このままでは何かが足りないと。
リトアニアの修道院でキャンプをしているとき、メンバーと遠出をして、止むを得ずヒッチハイクで帰ったことがある。
リーダーのがんばりでそれは極力安全なものになったけれど、不安な時間を過ごした。
帰りは夜になり、雨も降ってきた。
普段は英語で考えを伝えられなくてもどかしかったのに、その時は目が合うだけで不安を共感できて、何も言わずに「私もわかるわその気持ち!」なんて言うように抱き合ったりした。今思うと、面白くて微笑ましい。
ある男の子は、そんな時に自分の国の言葉を教えてくれて、私が話すと発音がへただと言って笑っていた。自分のことより周囲を気遣う彼をみると、いつもの自分がとても汚く思えて明日から変わりたいと思った。
乗った車が走り出すと、不思議に緑がかった暗い空に、黄色い満月が浮かんでいた。
まるで自分の気持ちを代弁してくれているような、暗くて明るい空だった。
月を見ながら、あぁ自分は、自信がなかったんだなぁと思った。
旅行の前に就職活動をしていた私は、面接のために自分を言葉で説明する用意をたくさんしていて、それは自信のない自分を飾って隠しているようで、空虚だった。
英語もそうだった。
事前に自分のことを説明する英語を勉強しておいても、言いたいことはそんなことじゃなかった。
どこかで聞いた言葉ではなく、自分の考えを話したかった。
飾らなくていいのだと思った。
7年前のメモはここで終わっていたのだけれど、
今年また1人で旅行をして気づいた。
今回も行く前は最悪だった。
疲れるほど目の前の事に取り組んでいるし、物質的には何も困っていないのに、毎日気づかないうちに落としてものをしているような気分だった。
しかし、旅行から帰る頃はそんなことは感じなくなっていた。
「何か」を求めて旅行にいくわけではないのに、帰るときには満たされていた。
そうか、私は自分が「何を欲しいか」を知らなかったのだ。
それがわからないから、不安になったり、焦ったりしていたのだ。
「欲しいもの」を知らないまま旅行に出かけて、満たされて帰ってくる。
それがどうやら、私の旅行だ。