カウナスの修道院でのキャンプが終わると、ほとんどのメンバーが自分の国へ帰った。私は一人旅を続けることにしていたが、計画時は予想だにしなかった事態に陥った。
どうしようもない寂しさと孤独感におそわれたのだ。
冗談ではない。深刻だった。
キャンプの最初は、英語が聞き取れず疎外感や劣等感を感じたり「これはいい経験だけど、気ままな1人旅に戻ったらもっと気楽で楽しいな」なんて思っていた。
それが後半になると不思議なほどに打ち解けて、とても心地よかった。
翻訳家を目指す早口な英語を喋る女の子が「私だって時々⚪︎⚪︎が何を言っているかわからないわよ」とけろっと教えてくれたからか。
それにしても、一緒に食事を作り、食べ、働き、遊び、歌って、これでもかというほどの時間を共有していた。
今になると思うことだけれど、そんなことは大人になると中々できない。
キャンプが終わっても「修道院に延泊していいよ」と言ってもらったのに、騒がしかった修道院が静かになるのを目の当たりにするのが嫌で、私はすぐに街へ出た。
まず十字架の丘があるリトアニア北部のシャウレイ(Šiauliai)に立ち寄る。
シャウレイのバスターミナルからバスに乗ってドマンタイ(Domantai)という停留所で降りるとき、「旅行者には停留所がどこかわからないから、とにかくドマンタイで降ろせとアピールしておけ!」とガイドブックにあった。言うまでもなく、アジア人観光客の私は隣の席の人に声をかけてもらえた。
下車すると、なるほど何もない。ないよ。
歩いても丘など見えなくて、最初は道を間違えていた。
1人で旅行をしているだけでは、好奇心や緊張感の方が勝って寂しさや孤独感は意外と感じない。
でも今は、歩いているとメンバーの声が頭の中で反響していた。
昨日までみんなで歌い踊っていたのに、突然1人で草原を歩くことになって、そのコントラストは強すぎた。
途中バックパックを 下ろし、ウエハースを食べて水を飲んだ。
また歩き出して、たまらなくなって、修道院で一緒に過ごした仲間の名前を呼んでみた。
もちろん返事などない。でもその時気づいた。
実際のところ、人は1人なんだな、他の人とどんなに楽しい時間を過ごせたとしても。
ネガティブな独りよがりがしたいわけじゃない。
要は、人はあくまで個人で、その集まりが集団だ。
驚くほど当たり前のことだけれど、自分は本当は1人なのだと感じた。
でも、1人がもう1人いたら、2人。さらにもう1人いたら3人になる。
そんなことを考えていると、十字架の丘があるのがわかった。
「丘」と言っても小高いわけではないから、遠くからではわからなかった。
でも、近づいてくると雰囲気で何かがわかる。
ここに十字架が立てられるようになった正確な理由は今ではわからないが、1831年のロシアに対する蜂起の後に処刑、流刑にされた人々のために十字架を立てたことが諸説あるうちの1つ。
この十字架の丘自体も、ソ連時代は禁域とされた。
しかし何度壊されても、夜になるのを見計らって誰かが新たな十字架を立て直す。
その数は、リトアニアの生者の数より多いともガイドブックにある。
十字架の丘で写真を撮らないことにしたのは、自分はジャーナリズム精神や覚悟のようなものがない、ただの観光客だったからだ。
ずっと風が吹いていて、十字架に架けられた大小たくさんの十字架同士がふれあって、
不安定な鈴のような音が鳴り続けていた。
1つひとつの音は小さい。
合わさると、美しいけれど、どうしても調弦できない楽器が演奏する悲しい音楽のようだった。
- シャウレイ(Šiauliai) 十字架の丘
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