少し前のことになるけれど、Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されているデュフィ展に行った。
デュフィはどんな人?
ラウル・デュフィ(Raoul Dufy)は1877年に北フランスで生まれた画家である。
明るい色彩の風景画や、社交場の描写が有名だろうか。
私がデュフィを初めて意識したのは、自動車免許取得の記念に、千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館まで決死のドライブしたときのこと。
美術館に着いてハンドルから手を離すと、人は緊張すると文字通り手に汗握るのだと知った。
こちらの美術館はモネやルノワール、マーク・ロスコまで豊富な収蔵作品で有名にも関わらず…
ミュージアム・ショップで、展示などされていたなかったデュフィの『電気の精』のポストカードに一目惚れをした。
これは1937年パリの万国博覧会で、フランス配電会社のパヴィリオン「光と電気館」のために制作されたもので、実際は10×60メートルの大壁画である。
当時はそんなことは知らず、ただただ不思議な色と線だなぁと思った。
デュフィ展で気づいたこと
今回の展覧会について、展示冒頭のintroductionと、最後のまとめでも一貫した開催趣旨が説明されていた。
油彩画の代表作をはじめ、水彩画、素描、版画、テキスタイル、服飾、陶器、家具など、多彩な作品が出品されています。これらの作品を通して、デュフィの多様な造形やその制作活動を丁寧に検証することで、色彩と光の戯れの向こうにある画家の本質が明らかになるでしょう。(抜粋)
主催者
私が美術史や絵画について語ることはないけれど、メモしておきたいのはテキスタイルの仕事だ。
デザイナーポール・ポワレと親しくなり、デュフィの木版画のモティーフが服飾のテキスタイルにも転用されるようになる。
展示では、当時のテキスタイルや、実際に縫製されたワンピースも展示で観ることができた。
普通、テキスタイルのパターンというのはあるモティーフを繰り返すものだと思っていた。
デュフィのテキスタイルもそうであるはずなのに、どこがパターンの境目で、どこからどこまでが繰り返されているのかがわからなかった。
まるで、一枚の絵画を観ているようだった。
次に驚いたのは、彼の絵画がテキスタイルの影響を受けることだ。
テキスタイルは、使用している色数だけ版があり、それを順に重ねていく。
そうすると、版は必ずしも正確には重ならず、ずれてしまうこともある。
デュフィはそれを手法として取り入れたことで、彼の絵画は線と色がずれるというか、独立したものになり、あの独特の画風になったというのだ。
また、人やモノを記号のように捉えて、絵画の中でそれが繰り返すようになったのも、テキスタイルから得た手法だそう。
デュフィの仕事
「絵画が素晴らしいから、そこから派生してテキスタイルを手がけた。」のではない。
絵画とテキスタイルの仕事は、どちらかが延長線上にあったのではなく、相互に影響しあって、彼の仕事になっていたのだろう。
2つの仕事ではなくて、デュフィにとっては絵画もテキスタイルも1つの仕事だったのかもしれない。
そしてそれは、絵画とテキスタイルの2つだけではなく、木版画や装飾などもっともっと多岐にわたる。
それぞれの仕事が、また他の仕事の刺激になる。そんな仕事のスタイルに憧れた。
今回はポストカードではなく、テキスタイルのモティーフの特殊印刷が施された、図録を購入することができた。
申し訳ないのだが、展示は本日(2014/7/27)まで。
今後は大阪、愛知を巡回するよう。
- デュフィ展公式サイト
- http://event.chunichi.co.jp/dufy/