今年(2015年)夏にスペインを旅行して、スペインはカタルーニャの建築家アントニ・ガウディのサグラダ・ファミリアに釘付けになってしまった日本人観光客として、映画「創造と神秘のサグラダ・ファミリア」をEBISU GARDEN CINEMAへ観に行った。そんな個人的な感想を、自分が訪れたときの写真とともにまとめてみる。
映画冒頭の驚き
映画の冒頭ではまず、観光客は立ち入れないサグラダ・ファミリアの内部を観たことに「おっ」と喜びを感じながら、そこにいるダンサーのアナ・フーバーの姿がとても意味深で、「誰かの少年時代なのかな」とか勝手な想像をしてしまった。
映画の最中も建築途中の内部や建築現場、空撮による俯瞰を観ることができて、訪れたことのある者にとっても新鮮な映像だった。
サグラダ・ファミリア聖堂内部の映像を観ていると、光をふんだんに取り入れる建物は訪れる季節や時間帯、天気、露光などの撮影の加減によっても大分色や雰囲気が変わることに改めて気づかされる。自分があの日に見たサグラダ・ファミリアは、自分だけのサグラダ・ファミリアだったのだ。
ガウディとサグラダ・ファミリアについて語る人々
偉大な建築家ガウディの仕事を引き継ぎ、紆余曲折を経ながらも建築を続ける専門家や職人たちは喜びに満ちていて、誇り高くその幸福を語る。個人的な功名心ではなく、人の名の下にこんなにも幸せや誇りを感じられる仕事ができることを知った。
私が訪れた8月の炎天下のサグラダ・ファミリアは、とにかく明るくてあたたかいところだったが、劇中の関係者が語るエピソードからは、この贖罪教会の神秘性を強く感じる。それは、当時まだ無名だったガウディが贖罪教会の建築家に抜擢され、戦争や世論に翻弄されながらも、そしてガウディを亡くしてもなおつくり続けられてきたというドラマチックな史実と、ガウディのサグラダ・ファミリアへ対する情熱と独創的な建築手法、彼のアイディアの実現に全霊をかける人たちの言葉によるものだ。
一方、反勢力による周辺の宅地化による建築の制限や、サグラダ・ファミリアの下を走るパリとバルセロナを結ぶ高速鉄道用トンネル工事への懸念など、観光客にはアピールされない事情もリアルなサグラダ・ファミリアだろう。
キリスト教文化圏外から訪れた私が感じたこと
ガウディ亡き後の建築続行の是非を問う議論も、幾つかエピソードが紹介される。一時期はコルビジェやミロもプロジェクトの見直しを求める運動に署名していたという事実も、この論争の根深さを感じさせる。
それでいて、関係者や取り巻く人々の思いや思惑を全て内包しながら、今この瞬間もつくり続けられるこの建築物に、スペイン旅行中に感じた独特の面白さを思い出す。ミニマリズムと対局にありながらも、全く違和感や混乱などなく心地よい美がある。それぞれがユニークで過剰とも思われる主張の強い装飾が1つの建物に、街に調和し、風景が立派に成立している面白さだ。
未完のまま長い時間を過ごしているこの建築は、造形の個性だけでなく、異なる時代や精神までもその一部にしながら拡張し、今日もその姿の素晴らしさを人々に称賛させる。全くすごいと改めて感嘆した。
関わる人々のガウディとサグラダ・ファミリアへの思いは深い信仰を思わせるし、サグラダ・ファミリア自体もローマ法皇に認められた正式な教会である。
しかしながら、劇中後半の「この建物は『人類という兄弟』のための『建築』なのではないか」といった一説に、クリスチャンでなくても、一歩足を踏み入れた瞬間に建物にあたたかく包み込まれている感覚を味わった私は大いに共感してしまった。
そして最後には、そういった建築物をつくり続けることは世界を平和に近づけるはずだという言葉を信じてしまった。
原題
Sagrada: El misteri de la creaci
製作年
2012年
映画「創造と神秘のサグラダ・ファミリア」公式サイト
http://www.uplink.co.jp/sagrada/